実行しなければならないことが多過ぎで、何も出来ないまま今日を迎えてしまった。

何も、かも、と考えて、実力も伴わない理想はほど遠いということだろう。

その理想は現実からかけ離れているとは思っていないけれど、志に対して、努力をしたかというと、「おこなってはいない」といったほうがいいだろう。

思えば、ずいぶんと良い待遇を与えられた青春期。気がつけば、知らないうちにサブに座っていた。心地よさは云うまでもないが、そのチヤンスを利用して、さらに自分を高めるべきだったと、深く反省している。この時期に自分を高める努力をしていたなら、きっと、理想も実現できたと考える。人間、自分が最も優れているという錯覚に陥るが、先輩諸氏の言葉に耳を向け、その意味を理解することに努めるべきと、つくづく思う。「今からでも遅くない」と人は云う。そうだ、残された有形無形の財産を余すところ無く使っていこう。

地震対策・都会に於いては役にたたないが現実では

 

 昨日、地震の発生時間に、遅い昼食で食事をしていた。場所は新橋の

ビル街。長く続く揺れと、地変が発する「音」で外に向かったけれど,

目の前にひろがる状況に、逃げ場は無いと一瞬に判断できた。La地震の時は

7階立ての横に長いHotelが折れるのを目の前で目撃した状況が現状とW。

既に、携帯電話は役に立たなくなっていた。仲間と揺れが止まった合間に

会社に向かい最初に取り出したのは衛星電話と、 ここ暫くは使っていなかった

無線機。いわゆる,ウオーキートーキーだ。この無線機が情報を得るために

大いに役に立つことになる。

おそらく,明日のスポース取材は中止になると予測して、取材カメラを持って、

避難場所へ。これは、いけない。ビルに囲まれた谷間。これは、ただの空間で、

東京に同様の揺れが襲うなら、まず、周りのビル群からは、必ず,も

のが確実に落下してくるだろう。また、火災になれば、確実に炎はビル群の

谷間の空間を襲う。

新橋駅近くにある避難場所も,同様で,何のための避難場所なのか?。

きっと政府は、シミレーションをしていると発表しているが、現実からは

遠い計画に違いない。時間は4時になった。窓から外を覗くと、なんと、車の行列。

この光景は深夜を過ぎてまで続くことになるが,政府は余震はもう絶対にこないという

確証があったのだろうか?。なぜ?。避難場所同様の考え方で、再び、地鳴りが襲えば、

ニュートンの法則どうり、ものは、容赦もなく落下し車を直撃することは避けられない。

交通機関の停止は、帰宅する人たちの足を奪ったが,その人たちを迎えるための

車を都心に向かわさせるべきではない。

大きな余震が東京を襲わなかったから,車の混雑でかたずけられたようだが………。

将来、東京を大地震が直撃したなら,とこまで、政府の計画している

シミレーョンが通用するのか不安でならない。

      自分のことは自分で守るを大原則にしよう